海田悠について

はじめに

海田悠は、“写真家”であり“カメラマン”ではない。
被写体を正確で確実にそのまま撮ることよりは、自分の作品として・・・言い換えれば、キャンパスに絵画を描く「芸術家のような姿勢」で写真制作に臨むからである。つまり、“写真家”というもの創りの匠である。時には、そのこだわりは、台紙にもおよぶ。いつの頃からか、四国で自ら制作する“手漉和紙”(てすきわし)を印画紙がわりに使用するようになってから、何枚も同じものがプリントできる写真ではなく、一枚の絵としての完成度を高めていく。これが、海田のひとつのスタイルである。それは“一枚の写真”ではなく、まさに写真家が描く“一枚の絵画”のような“おももち”である。
そんな海田のスタイルをアナログの“和紙”同様、もう一方で支えているのが“デジタル”である。海田は、早くからデジタルで制作することに目覚め、アナログのカメラを置き、撮影からプリントまでを一貫してデジタルで行ってきた。そのきっかけとなったのが、1988年に銀座セントラル美術館にて開催された「現在活躍中のアーティスト28人によるスーパーデザイニング」への参加である。デジタル機器を駆使した“写真という表現”との出会いの場であった。
現在、海田が写真家として活動してから40年以上経過しているが、その間、海田が撮影テーマにした主なものは“肖像”“舞台”“自然/風景”である。特に肖像写真は、各業界で活躍されてきた方を中心に撮影し、肖像写真家を名乗るほどの“天職”となった感がある。その集大成ともいうべき、「産業人魂」と題した日本の偉大な経営者たちの肖像を後世に残すための制作にも励んでいる。

(文責:プロデューサ/谷口功)

肖像

海田悠の作品は、基本的には「肖像写真」が中心である。
海田の最初の写真集「経営者の肖像」(1993年・講談社)から、肖像写真がひとつのテーマになり、“肖像写真家”が彼のひとつの肩書ともなった。被写体の経営者や表現者、政治家などの各人物と対峙しながら撮っていく感覚は独特で、海田の人なつっこさや巧みな撮影の雰囲気つくりから引き出される被写体の本音の部分や普段見せない部分を見事に捕らえ、表現している。特に、政界や表現者の各氏を撮影した際には、マスコミに様々に登場する彼らの表情とは、確実に異なる見ごたえのあるものだった。ただ人物を前にして撮るのではなく、海田の世界へ引き込んで撮る。海田のスタイルの原点がそこにある。

肖像写真・作品

舞台

きっかけは、表現者の撮影で出会った先代の“市川猿之助丈”である。
海田が撮った「表現者の肖像」(2000年・マルチグラフィックス)の中で、猿之助丈を稽古場まで追っかけて撮影していく中、必然的に、舞台の猿之助丈にもカメラをむけ、「舞台写真」を撮るようになった。変幻自在に変わる舞台背景や演出に併せて、常に露出やシャッタースピードを計算しながら作品として撮っていく。かなりのスピードが要求され、舞台での一瞬の場面を盗む。この間の猿之助丈やその一門を撮った様々な写真撮影を通して、匠な技が磨かれていった。それが、次の舞台写真である「FESTA2003」(2003年・財団法人日本舞台芸術振興会)にも活かされ、歌舞伎とは違ったバレエの海田流の舞台写真が完成された。新たな海田の作品分野として“舞台写真”が確立したのである。

舞台写真・作品

自然/風景

カメラマンとして、写真家として当たり前には、自然や風景は撮っていた海田。しかし、2006年のモンゴルへの撮影旅行で、その単調で静かな砂漠に接し、海田は新たな創作意欲がわいてきた。その結果、持ち前の術を駆使して“風景写真”の分野にもアプローチした。それが、「蜃気楼・シルクロード展」(2007年・ポーラミュージアム・アネックスにて開催)である。完全にアナログの“和紙”とデジタルな技術の二つの技を駆使することで、プリントした写真という概念を超えたあたかも筆で書いた“一枚の絵画”のように、作品を仕上げた。どれも海田の今までの作品とは異なる別の世界観が見える。それは、2007年末から撮影を始めた富士山も同様な世界観を創造した。富士山という被写体には、写真家や絵師たちが様々にアプローチしてきた中で、海田独特の写風が生まれた瞬間だった。
その経験は、また、京都東山の非公開の庭園である「松下真々庵」の四季を通しての作品に、見事に活かされている。四季で異なる表情を見せる自然と対等して撮った手ごたえのある作品となった。「自然や風景」これは、新たな撮影分野やテーマへアプローチして生み出した結果、海田の作品の枠が広がったひとつの例でもある。

自然/風景写真・作品

商業写真

海田悠は、若い頃は商業写真を撮影していた。食べるためのカメラマンとしての仕事である。家電をはじめ様々なものを撮った。言わば、カメラマンとして技術を磨く“修行の時代”だったと言っても過言ではない。仲間と写真事務所を開設し、そこから海田の写真家人生がはじまった。

その他

海田は偏屈ではない。また、頑固な芸術家でもない。だから、自分が納得すれば、また興味がわけば何でも撮る。そんな作品の中には、長く生活をともにしていた愛犬もいる。また、街角でふと眼にとまった光景などへのアプローチもある。こだわりのない、まるで少年のような好奇心で挑む海田の撮影スタイルは、あらゆるものへこだわりなくレンズは向けられる。また、レンズの前に立つのもいとわない。弟子たちの修行として、自らモデルとなり、様々な表情を魅(見)せる。それらの表情(写真)は、このサイトで活かされている。

プロフィール

海田 悠(かいだ ゆう)

1947年
大阪生まれ
1985年
海田悠写真事務所を設立
1988年
銀座セントラル美術館にて「現在活躍中のアーティスト28人によるスーパーデザイニング」に参加
1988年10月
大阪ソニータワーで「ビジュアルルネッサンス」に参加
1992年8月
WIZギャラリーにて個展
1993年1月
「経営者の肖像」写真展:銀座和光ホールにて
1993年4月
「経営者の肖像」写真展:MBSギャラリーにて
1993年度全国カレンダー展で日本印刷産業連合会会長賞受賞
1993年5月
「経営者の肖像」写真展:キリンプラザ大阪にて
1993年10月
「経営者の肖像」写真展:東京海上マリンギャラリーにて
彫刻家 村上炳人氏作品集制作
1999年2月
「日本の女将」写真展:銀座山野楽器にて
2000年1月
「表現者の肖像」写真展:銀座和光ホールにて
2000年9月
「表現者の肖像」写真展:長野東急百貨店にて
2000年11月
「表現者の肖像」写真展:国立京都国際会館にて
「表現者の肖像」写真展:広島そごうにて
2001年2月
「輝いている・31Femmes」写真展:銀座・ラ・ポーラにて
2001年3月
市川猿之助スーパー歌舞伎「新・三国志Ⅱ孔明篇の世界」写真展:お台場ビーナスフォートにて
2001年4月
「ふだん着の政治家」写真展:衆議院議長公邸にて
2001年9~10月
市川猿之助スーパー歌舞伎「新・三国志Ⅱ孔明篇の世界」写真展:大阪キリンプラザにて
2002年
「新・経営者の肖像」連載:「中央公論」掲載
2003年3月
市川猿之助スーパー歌舞伎「新・三国志Ⅱ孔明篇の世界」写真展:九州岩田屋にて
2003年3月
市川猿之助スーパー歌舞伎「新・三国志Ⅲ完結編」写真展:銀座ポーラミュージアムアネックスにて
2003年4月
「ふだん着の政治家」写真展:銀座和光ホールにて
2003年7月
「新・経営者の肖像」写真展:銀座ミキモトホールにて
2004年4月
市川猿之助スーパー歌舞伎「新・三国志Ⅲ完結篇」写真展:銀座ポーラミュージアムアネックスにて
2004年6月
「舞台裏のエトワールたち」写真展:松屋銀座7階画廊にて
2005年1月
「華麗なる世界( 東京バレー団) 」展: ポーラミュージアムアネックスにて
2006年1月
「挑戦者の群像」展: ポーラミュージアムアネックスにて
2007年1月
「蜃気楼・シルクロード」展: ポーラミュージアムアネックスにて
2007年1月
「蜃気楼・シルクロード」展:ポーラミュージアムアネックスにて
2007年10月
「時代を創る挑戦者たち」展:アート・コンプレックスセンターにて
2008年1月
海田悠作品展:帝国ホテルプラザにて
2010年11月
海田悠写真展「産業人魂」:銀座和光並木館にて
2012年6月
海田悠写真展「経営者の肖像展」:キヤノンSギャラリーにて
2013年4月
「企業家は生きる」:アート・コンプレックスセンターにて
2014年6月
海田悠「松下真々庵」写真展:パナソニック汐留ミュージアム にて
2014年11月
海田悠「松下真々庵」写真展 in パリ:GALERIE YOSHII Parisにて
2017年2月
海田悠写真展「産業人魂Ⅱ」:銀座洋協ホールにて
2022年8月
海田悠写真展「産業人魂Ⅲ」:銀座洋協ホールにて